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正論とは?-非匿名、正直とは関係ない。

2008/07/05 13:59

 

記事への直接のコメントを書くべきかとも思ったが、まさしく2ch状態となっている熱狂の中へ反論を書いたとて、かえって更なる混乱を招くだけと考え、TBという形をとって反論する。
私は阿比留記者の熱心な読者ではないし、一部の批判者の一連の流れを知るものでもない。
単に、この数件のエントリーのみからの判断であることをご承知おき願いたい。
過去の流れがどうであろうとも、私の言うところに影響はないと考える。

7月3日のこの記事は阿比留記者が自らの立場を省みず、危険やリスクを背負いながら自らの信じるところを正直に書き綴っているのだという事を書いているのだと思う。
実名、社名、職位を公にしつつ、批判を恐れず正しいと思うことを書き綴ること自体は何ら恥ずべきことでも間違っていることでもないし、それができる阿比留記者への賞賛はあって当然かと思う。
しかしながら。
だからと言って、それが即、阿比留記者の言うことがすべて正しくて、正論であるという根拠にはならないということを理解すべきじゃなかろうか。
記事が正論であるかないかと匿名であるかどうかは本来全く関係ない話である。
匿名であるが故に無責任に言論を撒き散らす輩は確かに山ほどいる。かといって、実名だから無責任ではないと言うことはできても、その言論が正しいという根拠にはならないのだ。
正直な気持ちを語ったとて、それが正論であるとは全く限らないのである。
いくら善意と正直さとに満ちていたとしても、それを無批判に正論と受け取ることはできない。

この記事は二つ前の山崎議員に関するエントリーに対する批判のコメントと連なるものだと考えるが、
>私を含めた記者一般、報道のあり方への批判は私自身、実にもっともだとうなずくことが多いのも本当です。ただ、日々の仕事とも家庭やプライベートとも両立させながら、記者ブログにも取り組む記者たちが、そんなに安易な気持ちで書いているのではないことを、少し言いたくなってしまいました。

彼自身、報道のあり方には、記者として批判されるべきこともあると考えている。日々、そういった批判を受け止め自らをして正しい報道をしようと心がけているのは十分わかる。
だが、この二つ前の山崎議員に対するエントリーは報道ではなくて、彼自身の正直な感情的主張を、報道記者としての公正さに包み込んで発信したものに私には見えるのだ。彼は山崎議員に関するネガティブな報道のネタはいくらでもあると書いている。ならば、彼の政治的活動やその主張の根拠の誤りを指摘するのに、もっと適切なものがあっただろうと思う。
山崎議員を擁護するつもりは毛頭ない。彼の政治的行動が国益を損なっていることも事実だと思う。ならばこそ、こんなスキャンダルではなく、正々堂々とその点を突いてもらいたいと思うのは私だけだろうか?
下半身のスキャンダルは確かに山崎議員の政治家としてのイメージを破壊するには十分な記事だとは思うし、十分彼の政治生命を奪うことにもなり得るが、それと政治的活動の正当性とはなんら関係ないと思うのだ。
このエントリーに関しては、山崎議員のスキャンダルを紹介したいだけのエントリーであって、それ以外の高邁なる意思は見えない。あまりにも唐突なるスキャンダル記事の引用は私には違和感を感じさせた。
それを記者としての正義や公正さでデコレーションしたところに無理があると言わざるを得ない。阿比留記者を無批判に受け入れる読者には見えないかもしれないが、私にはそのアンビバレンスが感じられる。
間違いなく山崎議員を擁護する立場の記事ではないのにも関わらず、「でも、そんなの関係ねえ。とにかく山崎をつぶせ。」という記事だという批判に対して、感情的な対応をしていることからも伺えるし、公式な会合の様子から始まったところからもそれは伺える。
この記事から、論理的に山崎議員の政治的行動が間違っているという根拠は導き出せない。
「その通り、この議員は私が知る限り有害であって、どんな手段を以ってしても排除すべきだ。」
それが阿比留記者の本音ではないのか?山崎議員を許せないと思う正直な気持ちで書いたエントリーであって、そう主張すればいいのではないか?

事実、彼は思ったことをそのまま書いているエントリーがあることも示唆している。
ならば、そういった批判に対して、自身の個人的感情的意見を述べたまでであって、正直な気持ちだと認めるのが本当のところだろう。だからこそ、産経新聞の記者としてではなく、個人の考えるままを書き綴ることがあると書いているのではないか?
そこに記者としての正義感なり公正さを持ち込むのであれば、このエントリーに関する限り、文脈上においてスキャンダル記事の引用は山崎議員を貶めるための恣意的引用との批判は免れないと思うのだ。

私は阿比留記者が産経新聞の記者としてではなく、紙上に書けない個人的主張を書くことに対しての是非は問わない。正論は正論、感情論は感情論として分けるべきだと思う。
正論ばかりを唱えることはできない。この前のエントリーで書いている、記者の正直な気持ちはセンチメンタリズムに満ちているが、同意と同情をもって読めるものだ。
新聞記者としての肩書きをもってして、それを混同した記事はかえって本質を見失わせる。それが産経新聞記者としての肩書きを表に出して、個人的主張を表出するものとしての義務ではなかろうか。
阿比留記者が正直に自分の気持ちを語っていることは事実だと思うし、我々の知りえない情報を伝えてくれる誠意も感じるし、そのリスクを省みないでの活動には賛意もある。
だからこそ。
感情論は感情論として別として、正論を貫くべきときにはその本質に迫った真の正論を主張してもらいたいのだ。それができるだけの知識も技術もあるだろうと思うからこそ苦言を呈したい。

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2008/07/05 15:43

Commented by 阿比留瑠比 さん

こんにちは。トラックバックありがとうございます。ご指摘はもっともだと思います。ただ、今回のエントリは、taku-u様も注意されている通り、「一部の批判者の一連の流れ」に対して、「もういい加減にしてほしい、あなたたちは一体何なのだ」と叫びたくなったということに執筆の理由があります。ごらんになった最近のエントリへのコメントではそれほどではなく、まだ理屈もあるようなコメントを書いていますが、これまで何百、あるいはもっと書き込まれてきた中にはここに引用できないように暴言、性的表現を含む汚い罵詈雑言、いやがらせ…などがあまりに多数あり、私も少々切れてしまった、というのが正直なところです。それと、山崎氏に関するエントリで、女性スキャンダルを書く必要があるのかというご疑問に関してですが、私は常々、山崎氏に限らず福田首相に対してもだれに対しても、国民が政治家個人をよく知らないということに気づき、それではいけないと思ってきました。政治は個人の道徳性と関係ないという意見もありますが、それは一面しか見ない議論であり、芸術の世界では通用しても、政治は必ずしもそうではないと考えています。やはり人間として認められないような人物は、外交においても内政においても、とんでもないことをしでかしかねないと感じているからです。ですから、こうした問題への注意を喚起するこに意味がないとは思っていません。もちろん、私自身の好悪の情がからむことも否定しませんが。

 
 

2008/07/05 16:25

Commented by taku-u さん

To 阿比留瑠比 さん

ブログ主からの直接のコメント恐縮です。
私は、もし貴殿からの直接のコメントが頂けたならば、それが一方的、感情的な反論でない限り、その言論に対する誠実さと真剣に考える姿勢に関しては本当だと信じるし、私の言う意味についても十分ご承知のことだと判断しようと思っていました。

>これまで何百、あるいはもっと書き込まれてきた中にはここに引用できないように暴言、性的表現を含む汚い罵詈雑言、いやがらせ…などがあまりに多数あり、私も少々切れてしまった、というのが正直なところです。

私は事の経緯を詳らかに知るものではありませんが、そのような事があるだろうことは容易に想像ができます。
その正直な気持ちを書かれれば良いのだと思います。
記者とて同じ人間、感情と論理、本音と建前がある事くらいは理解しなければいけない。
あなたが正直な記者であることを認めた上で、私は感情的な意見であればそれを正直に吐露することが許されてもいいのではないかと思うのです。

山崎氏への批判についてもそうなのです。
政治家として、政治家として下半身のスキャンダルが致命的な痛手を被ることはあることですし、それに対して政治家と資質に欠けるという主張も十分理解できます。
しかしながら、山崎氏への批判の材料は他にもあったとする上で、公的な会合の様子から描写し、それをスキャンダルへとつなげたレトリックは、建前ではなく、本音の部分であったと読み取れたからこそ、感情的なものがおおいにあると認めて頂きたかったと思うわけです。
その上で、その他の材料をもってして、まさに正論で攻撃することにおいては見事な感情と論理の両立と貴方を賞賛するにやぶさかではありません。
私は貴方が記者として、そういったバランス感覚の上で言論を展開できると感じましたので、些細なことながらあえて苦言を呈したわけです。
私の言いたいことは十分ご理解いただけているものと信じます。
決して貴方の活動そのものを批判するものではありません。
今後の活動を陰ながら応援させていただきます。
ありがとうございました。

 
 
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